元々は『邯鄲』(かんたん)の主人公に使う為、作られた面です。『邯鄲』の主人公盧生は中国の青年で、人生の迷いについて楚の国に住む高僧に教えを受けようと旅立ちました。途中邯鄲の里につき、宿の主の貸してくれた枕をして寝ていますと、勅使が王位に着くようにと迎えにくる夢を見ます。盧生は天にも登る心地でした。しかし、限りない栄華を極めた五十年間は、宿の主人が粟飯を炊くわずかの間の夢に過ぎませんでした。人生とは何事も儚い一炊の夢であると悟り、盧生は国に帰りました。この曲に使う面は、人生に懐疑を抱く青年の憂愁を含んだ表情を持ちながら、悟りえた晴れ晴れとした相貌でなくてはなりません。二つの懸け離れた感情を表現する為、口元は若い女面の様な造形で、どちらの表情にも映る、あいまいさを感じさせる。神威性を持つ所から神能物『高砂』(たかさご)『弓八幡』(ゆみやわた)『養老』(ようろう)などの後ジテに用いられます。

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