大江定基(さだもと)は出家して寂昭(じゃくしょう)法師と名乗り、唐土(もろこし)と天竺(てんじく)「インド」を廻る修行を続ける。清涼山(しょうりょうせん)のふもとに着き、対岸の文殊の浄土まで架かる石の橋を見ていると、一人の童子が現れる。法師が石の橋を渡る希望を伝えると、童子は雲から流れる滝と地獄のような深い谷に渡された橋は、長さ三丈を越え幅は一尺にも満たず、仏力を得た者だけに許されるものであると答える。菩薩の来臨(らいりん)を持つようにといって、童子は姿を消す。
 やがて深閑とした渓谷のなか、文殊菩薩に仕える獅子が豪快に現れ、牡丹の花に戯れる舞を力強く舞い、獅子王の勢いを見せ、平和な御代が永遠に続くことを祈って舞い納めるのであった。想像上の霊獣である獅子の舞を表す芸能はアジア各地に見られるが、「石橋」は能に摂取された獅子の舞を見せるのが眼目である。橋のいわれを説く前場を省略した半能形式のもと、後場の獅子の舞をさらに強調する演出も、よく行われる。白頭・赤頭各一頭で親子の心情を表すもの、白頭一頭に赤頭三頭の獅子で一段と勇壮な雰囲気を出すものなど、多様なバリエーションがる。

大江定基(1034年没)は平安時代に実在した貴族である

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