この面は文字どおり神の面です。ときには神容とも書きます。「体」という語は、世阿弥の好んで用いた二曲三体の体です。世阿弥は老人・女性・軍人を、それぞれ老体・女体・軍体とよびましたが、この場合も神体は神そのものを示し、神体の面という意味です。もっとも神といっても、宝生大夫は「是も三日月に等し、住吉の面なる故に神容といふ」と述べていますように、とくに脇能・神舞物である「高砂」「弓八幡」など、わが国本来の若い男体の神に使用します。淡い黄土彩色に、眉にも鬢にも端正な毛描きがあり、額に冠型が描かれています。そのうえ、なによりも眼に金具をはめて、超自然的存在としての神の偉力を表現しています。しかし、その金具のまわりの部分には、三日月や阿波男にみられる朱が注がれておらず、白胡粉のままで、眼尻と眼頭にうすい墨の線でぼかしを入れています。神体は、霊としての神というより、淡白な若々しい神を表したもので、特に品格を重んじる場合に着用されます。作者と思しき都志善右衛門は播磨の人であるが、能面の作者に関する伝書類には登場しない。

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